子供だけ、じじばばに会ってきました。
そのじじばばとは、私にとっての毒親。
(過去の記事 「毒親」 、 「離婚を知った毒親』)
モラハラ夫から逃れるために、海外から逃亡してきた私と子供。
帰る先は、実家しかなかった。
身も心もボロボロでようやく到着した慣れ親しんだ実家。
しかしそこには、鬼の形相の毒親が待っていたのでした。
毎日毎日、ギャンギャン罵られ馬鹿にされ、実家にいれる状況ではなかった。
要するに、モラハラ夫も毒親も同じ性質の人間たち。
私のことを馬鹿にして、下に見て、怒鳴ることしか出来ない人たち。
そうして、日本に帰国して実家には2週間しか入ることができずに、
私らは部屋を借りて二人暮らしを始めることになったのでした。
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そう、それから2年半。
引越しして、保育園を決め、仕事を始め、子供が病気の時も、自分が病気の時にも、困った時にも頼れるじじばばはおらず。
たったの一人で、子育てしてきた。
心底辛いことが、何度も何度もあった。
辛すぎて、今思い出してももう涙も出ない。
それでも、あの毒親は私のことを理解はしていないであろう。
手も差し伸べてはくれないであろう。
離婚した今、もう子供だけでも会わせてもいいかなと思っていたところ、姉家族が実家に帰るとのことで、今回一緒に子供を連れて行ってもらったのでした。
姉の旦那さんが一緒に居れば、毒親が暴言を振りかざさない、とのこと・・・。
なので安心して送り出しました。
子供はというと、保育園の送り迎えをするお友達のじじばばの様子を見ていたり、お友達の話を聞いていて、じじばばという存在をとてもいい印象に捉えていたのだ。
だからじじばばに会いたいとは常々言っていたのでいい機会であった。
じじばばの家から帰宅した子供はおもちゃを買ってもらって、さらにお年玉をもらってきてご満悦。
いつもは食べられないジャンクなものなんかも食べさせてもらったようで。汗
嬉しそう。
「楽しかったから、また行きたい。」
とのこと。
それは、良かった。
子供はばばに向かって、
「前に僕のママにすごく怒ってたよね!」
と言っていたそう。
2年半前の日本に帰国した際に、ギャンギャン騒いでいたばばのことを。
当時3歳になったばかりだったのに、子供はしっかり記憶しているのです。
それだけ強烈な出来事だったのであろう。
それにしても、それを今回ばばに言ってしまうなんて!ナイスだぞ〜!
私はというと・・・まだ毒親に会わなくてもいいかな。
無理して会わなくてもいいかな。
子供が2泊お泊まりに行ってくれていたので、私は久しぶりにのびのびすることができました。
ショッピング、昼寝、フラのレッスン、仕事、料理、模様替えなどなど。
ありがたい時間を過ごして、この年月のことも振り返ったけれど。
やっぱりこれで良かったのだ。
今は親子笑顔で楽しく過ごせている。
私の逃亡は大成功!
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